供養とは
私たち人間は毎日、毎日、仕事や家事に追われています。 働く事も結構な事でありますが、たまには静かに自分の心の姿を見つめる事は人間として大切な事です。 我が心に存在する「仏の心」慈悲の心、思いやりの心の回復を願う事は「心の習慣」として大切な事であります。 お墓参りやお寺の法要に参りましてご先祖様を想う事は、そのまま今ここに生きる自分自身の命を考え、感謝と恩に対する報い有り難さの心をとりもどす事でもあります。 仏様、ご先祖様に心を運ぶ事、手を合わせる事、発菩提心「自分自身の心の中に存在する仏様の心を起こす」の種蒔きをし、人間として自分自身の生き方を再確認する事等「善悪、正牙をえり分ける心、精神作用、最低限の道徳」、そして今に生きる自分自身に向け流れてくる過去からのいざない血の道、血脈を清める事は私たち一人一人の本質、心、精神のありようです。 この「仏教習慣」を供養と云います。
水子供養
この世に生まれる事の出来なかったかわいそうな子供達。 その子供達を「水子」と呼びます。 亡くなられた方は「年忌」といって、三回忌、七回忌とお寺で何度も法要をしてお経をあげてもらいます。 しかし水子さんは年忌の法要をしてもらうという機会はありません。 ほとんどが闇から闇へと葬られます。年忌法要をし、供養をしてもらって、又、この世に生まれ変わる事が出来るといわれています。 しかし供養をしてもらえない水子さんはいつまで待っても生まれ変る事が出来ません。 それは我々、人間がこの世で生きていた時の「善行、悪行」によって生まれ変る世界が変るといいます。 しかし水子さんは、この世で善行も悪行もしていないので、この世とあの世の空間をさまよい、 「生まれ変わりたい」という強い思いがあります。 その思いが様々な現象を起こします。 決して父親、母親だけではなく、子、孫、子孫代々まで続いていくといわれています。 そのような水子さんの魂を癒すのは、我々、今、現世において日常茶飯事の中に善根をなす、 これが「供養」です。きちんとお供養をしてあげて下さい。 そして一日も早く、この世に生まれ変われますように願ってあげて下さい。

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